暗吾の覚書

3.5流大卒→軽度鬱病ニート→社会復帰フリーターと順調に社会底辺へと向かう渦にのまれている男。当座の目標は大学院進学。最近自分の口から出る言葉が信じられなくなっているので、なんとなくブログを始めてみました。

懐かしの教室

女性専用車両突撃集団とか、旗手が悉く嘘松とブーメランをやらかしたミートゥー運動だとか、つい最近ではグラドル(なのか?)を囲んで性的ガバディした野球少年が問題になっている。今までは一部のフェミ学者が騒いでいた印象の強い男女問題が、主にツイッターを舞台に白熱している感じだ。

 

(個人的に稲村亜美の騒動は男女問題ではなく、有名人に対するコミュニケーションの問題だと思うのだが。ジャニーズファンだってアイドルを囲んで黄色い声を発し、個人ブログやSNSでちょっと触った自慢をしている。映像がショッキングだっただけで、そこに違いがあるとは思えない。抵抗能力の性差云々を言い始めれば、じゃあマッチョは殴っていいのかという話になるし)

 

僕自身、何かこの問題に対して一家言を持っているわけではない。LGBTもフェミもジェンダーもクイアも違いはよく分からないし、電車を日常的に利用するわけでもなく上司でもない。社会が良くなるのならお好きにというスタンスでいた方がいいと、僕は活動家でもない身でそう自己完結している。

 

しかし、何故だろう。最近のニュースやSNSを見ていると、こう一言言いたくなってしまうのだ。というか、そういう人間が多いような気がする。当然の流として、賛否両意見には正誤と快不快の区別なんてないなど、玉石混交が目立つ。

 

社会問題が偉い学者の領分ではなく、市井の人々によって論じられ始めたと言えば聞こえがいいが、明らかに既存の「男女平等」を御題目にしてきたフェミニストとは一線を画す人物も出始めている。SNSなのでそういう人種の意見も、そのクラスタの意見として認識されてしまうわけだけど、そのことによって、明々白々にかつては学の箔がついていた(男女平等のための)女性優遇論の格が落ちていると、男である僕は感じている。

 

これは結構深刻な事態だと思っている。

 

フェミニストは長らくフェミニズムを理解して実践している人ではなく、ただ女性に優しいだけの男性を指す言葉だった。専門書を読めばここら辺の構造も詳しく考察されているのだろうが、たぶん、これはフェミニズムがよく理解されないまま、とりあえず偉い学者が言っているし女性側もそれで静かになるんだから従っておこうという心理で社会に浸透してしまったことを象徴的に表わしているんだと思う。

 

そして、その心理の裏には、女性に「男の器」を示したい、もっと柔らかな表現をすれば女性にモテたいという感情があったに違いない。

 

で、結婚や恋愛が人生において比重を得なくなった今、男の器を放棄したい男性がポツポツと出現し始めた。正常な反応だと思うが、それによって正しい言動が始まるかと言われると、首を傾げる。男女平等を目指して、女性専用車両を撤廃させようとするなんて、よく考えなくてもナンセンスだ。そこは男性専用車両を導入しろでいいし、女性専用車両突入なんて正直、違法デモみたいなものだろう。それは本当に最終手段だと思う。よくないよ、うん。

 

それにしても、どうしてネットで、特にツイッターなどのSNSでこの手の男女議論は白熱しているのだろうか。

 

なんていうか、僕は今議論と言ったけど、そこでの発言には議論に不適格な誹謗中傷もとても多い。上で書いたような僕の意見も、長く書けるブログという性質もあって、おそらくマシな部類に入っている。そもそも、僕もはこれらの話題を本気で解決すべき問題だと捉えていないので、議論に参加すらしていないと指摘されればそれまでなのだけれど。

 

そんなツイッターの風景を見ていて思い出すのは、僕みたいなおじさんにも存在した小学生時代の教室だ。僕が通っていた学校は決して人数が多いとは言えなかったけど、ささいな特定の人物同士の喧嘩をきっかけに、男女で対立することはままあった。

 

そう、あそこには対立がまずあった。最初は少人数の諍いだったものが、だんだん教室全体を支配していくのだ。強制的に二つの陣営のどちらかに振り分けられて争う、暗黙の了解が存在した。

 

たぶん、大体の人間にとって、それこそ最初の諍いを引き起こしたメンバーにとっても、発起の事件なんてどうでもよくなっていたんだと思う。小学生の諍いなんて大抵その場限りのもので、時が経てば解決する。が、しかし、対立の構造が出来上がっていれば、とにかく粗探しレベルで異性が敵である理由を探す。掃除をしないだの集団でうるさいだの先生にすぐ言いつけるだの。

 

気質の問題でそういうのを苦手としていた人もいるだろうが、基本的に味方がいるのは楽しいし、敵がいるのも楽しい。だから、クラス単位で起こることがほとんどなので、各陣営の主要メンバーが飽きるまでこの手の戦争は続く。時が過ぎれば自然と周旋するのだろうが、人の話を聞くに中には卒業までそんな感じだった学校も存在するようだ。

 

今のTwitterの状況はそれに近いと思う。発端の女性専用車両突入動画だって、男女どちらにも理屈主張があるのだろうが、見かけはまんま馬鹿をしようと女子集団に突撃してヒステリックな非難を浴びる男子の図そのものだ。それに付随して、痴漢やセクハラ以外にも男女に間に存在する溝が浮き彫りになっている。それこそ社会問題レベルのものから、単なる個人的体験に端を発する感想まで。

 

しかも、時間制限がなく新規参入者がどんどん入ってくるので、実質飽きられるということがない。SNSの衰退なんて事態になれば、争いはなくなるだろうが、まぁ、たぶんそんなことにはならないだろう。

 

もちろん、この痴漢問題が男女対立に発展している現状には、警鐘を鳴らす人物もいる。だけど、物事が男女問題に分類されてしまえば、やはり男女対立に発展するのは当然の帰結だと、僕は思う。ある片方の陣営の意見だけをもって導かれた解決策が被害者救済や犯罪防止の観点から妥当だとしても、それを別軸で評価すれば不当に差別的だという場合なんてザラだろう。それは反対意見だって出るというものだ。

 

正論が人をぶん殴る道具に成り下がりつつある時代性、この世に生まれた時点で発言権のある男女問題、リアルでは陰キャだろうが陽キャだろうが、平等にイキれてしまう匿名に近いアバター

 

たぶん、そこは現実のそれよりも幾分か理想的な懐かしの教室だ。

 

なんといっても、楽しいから。

男女対立は終わらないだろうなぁと思う。