毒と爆弾とキメラ ② アイドルマスター
中の人コンテンツの成功例――アイドルマスター
僕の知る限り、中の人を積極的に取り入れたコンテンツで成功しているのは、アイドルマスターくらいなんじゃないかと思う。
アイドルマスターっていうのは、簡単に説明すると、アイドルを育成するゲームだ。最初はアーケードから出発したらしいんだけど、今ではスマホを中心にコンテンツを展開している。かなりのご長寿コンテンツだ。
特徴としては、声優への依存度が大きいということが挙げられる。まずゲームだから単純なセリフ量が多いし、あとLIVE(ゲーム内ではなく現実で開催されるLIVE)もある。実際に中の人がステージに上がって歌って踊るんだから、彼女たちはとっても重要な存在だ。
訳がわからないって人もいるだろうけど、そういうものだと納得してほしい。感性が拒否するという人は、アイドルマスターというコンテンツにおいて、中の人の存在がデカいということだけでも覚えておいてもらえればいい。
さて、前項で長々と説明した中の人ネタだ。
まず前提として、アイマスっていうのは二次創作がとても豊富だ。ニコマス(ニコニコ動画におけるアイドルマスターを題材とした動画)、pixivなんかのイラスト、あとは5chなんかで匿名の人達が書いているSSと呼ばれるショートストーリー。
ファンフィクションと言ってしまうと、聞き覚えがない人にも意味が伝わるだろうか。
当たり前だけど、公式の人間が携わっているわけでもないので、キャラクターの性格や口調には違和感がある場合が多い。呼称厨と呼ばれる、あるキャラクターが他のキャラクターをどう呼ぶかを異常に気にしている人種までいくと極端な例だけど、そういう素人作品の拙さを嫌う人もいる。キャラクターの性格も大味な描かれ方をしている場合が多い。また二次創作者の個性を生理的に受け付けないっていう人もいる。
しかし、二次創作であるがゆえの魅力というものもある。
例えば、アイマスに登場する如月千早というキャラクターがいる。彼女は暗い過去を抱えているが、歌が好きで歌うためにアイドルになったという経歴を持つキャラクターだ。基本的にクールで、歌以外には関心も薄いという性格付けがされているんだけど、ゲームが進むにつれて、プレイヤーの分身であるプロデューサーに好意的になり、最終的には依存ともとれるくらいに信頼を寄せて来るようになる。
そんな彼女は二次創作だと、前述の深い信頼が拡大解釈されて、いわゆるヤンデレやメンヘラというキャラクター付けをされてしまうことが多い。ストーキングや盗聴、明らかに頭の心配をするレベルでプロデューサーと呼ばれる人物に好意を寄せるなどなど。ちょっとSSを読んでもらえばどのようなキャラクターとして描かれているのかはすぐに分かるだろう。
こういうキャラクター設定は、分かりやすいので結構好まれる傾向にある。キャラクターというものを人間のとある側面を強調したものだとするなら、それのもっとすごいバージョンなのだから当然か。
そんな千早の二次創作特有の設定の中でも、一際異彩を放つのが、同事務所に所属しているとされるアイドル、高槻やよい好きというものだ。
この元ネタは、如月千早の中の人である今井麻美さんが、ラジオか何かで高槻やよいがアイマスでは好きだと発言した事だったと記憶している。
二次創作中ではその中の人の発言と前述の病的な愛情を持っているという設定が相まって、フリークと呼ばれるレベルで高槻やよいを溺愛する如月千早が散見される。
ここまでは、まぁよくある中の人ネタの一つでしかない。
この『如月千早は高槻やよいが好き』というネタの特異だった点は、このネタが公式に逆輸入されてしまった点だ。
×××
アイドルマスターは息の長いコンテンツで、2011年にはアニメ化されている。
このアニメの作中で、千早は「高槻さんとってもかわいい」と呟いている。初見の人には「この如月千早という人物は高槻やよいをかわいいと思っているんだな」程度にしか思わないかもしれないが、前述の中の人の発言を知っている人にとってはそれが公式が遂に二次創作設定を認めたことの証左に他ならない。
いわば二次創作の設定が、中の人の発言が、公式によって如月千早というキャラクターに取りいれられたに等しいのだ。
これを皮切りにとは言わないが、アイマスというコンテンツは比較的積極的に二次創作的な設定を公式採用している。千早のバストサイズネタもそうだ。あずささんが歌が上手いという設定は、中の人の歌唱力から逆輸入された雰囲気がある。「はるちは」なんかの百合カップリングも中の人と百合界隈のハイブリッドという感じがある。
これは中の人とキャラクターの結びつきが強く、かつコンテンツの息が長いゆえにキャラクターの公式設定がかなり固まっているからこそ、やれたことだ。時代に合わせてデザインだけでなくキャラクターの設定も微妙に変わってはいるが、その根幹は大きく揺らぐことがないくらいに、公式とファンの間でキャラクター像というものが固まっている。
それゆえに、累積した二次創作設定から公式が精選を重ねた上で、あくまでもマンネリを防ぐためのアクセントとして輸入することも可能なのだ。
というより、中の人ネタを始めとする二次創作設定はあくまでもネタであると言ってしまった方が早いだろうか。キャラクターにとって、恒常的に発露していればキャラクター性を破壊しかねない毒でも、キャラクター性が固まっていれば、かつ公式がうまく調理すれば、ファンはギャグとして美味しく処理できるのだ。毒だと分かりにくいなら、キャラクター設定におけるノイズだと喩えてもいいかもしれない。
ゆえに、一過性の笑いにはなっても、それに固執しすぎると絶対に拒否感を持つ人がいる。あと、その毒が強すぎる場合にも注意が必要だ。そればっかりがそのキャラクターを示す記号になってしまっては、たぶん離れていく人や飽きる人が増える。
だから、たぶんここで重要なのは、公式がきちんと公式設定を固めて二次創作との差別化を図ることと、ファンが公式設定の前にひれ伏し、あくまでも二次創作設定であるという自覚を持つことだ。
その証拠といってはなんだが、派生作品であるシンデレラガールズにおいて、声優が注意喚起したことがあった。
カリスマギャルモデルアイドル――城ケ崎美嘉というキャラクターがいる。彼女は当初こそその名の通りのギャルっぽいキャラクターだったのだが、時が経つにつれ、ファンの間ではやっていた設定を反映したのか、見た目とは反した内面を――つまり処女っぽくて純情というキャラ付けをされていった。
ここまではいい。問題はこの美嘉の中の人である、佳村はるかさんがこれまたモバマスのラジオで行った「小さい子が好き」発言だった。
確かに、聞いていればちょっと「うん?」と思う発言だった。実際、親しみやすさ(こう書くとこの声優のファンにロリコンショタコンが多いと思われそうだが)みたいなものは演出できたかもしれない。
がしかし、この発言はそこで終わらなかった。今井氏の例によって、ファンの間で「城ケ崎美嘉はロリコン」という風潮が作り上げられてしまったのだ。
この設定はその真新しさゆえか結構広く浸透したのだが、さすがにロリコンという設定は、嫌悪感を抱く人も多かったようだ。
で、問題だったのが、公式がそれっぽい描写を入れてしまったこと。後述するアニメでは薄れてはいるが、スマホゲームの方ではかなりそれっぽい描写を入れてしまったらしい(実際にこういう描写があったことは僕も調べて知った)。
たぶん、モバマス自体が最初からガチガチにキャラクターを固めずにファンの中に生れたアイドル像を採用していく傾向があったことも影響しているのだろう。ちょっと無視できないくらいに蔓延した風潮は、発言した声優当人が自らラジオで注意喚起をするくらいに問題となってしまった。
こちらもアニメ化されているが、美嘉を主役とした回は幼いアイドルとのコミュニケーションを主題とした部分こそあったものの、流石にロリコン設定は採用されなかった(と思う。回自体がそれっぽいといわれればそれまでだが)。
他にも二次創作がファンたちの間に蔓延した結果、生まれたキャラ設定はあるのだが、上記の失敗を除いて、公式が暴走しすぎるといったことはなくなっている(たぶん。もし公式が真に暴走していたら、凛わんわんが輸入されないのはおかしい)。
このように二次創作設定、中の人ネタというものはキャラクターに対してアクセントにもなりうるが、公式が歯止めをかけないと時にはキャラクターを殺す毒ともなりかねない。
それは中の人の存在が大きいコンテンツなら尚のことで、当然のごとく、ここで爆死してしまったコンテンツというものも存在する。
次回はそのことについて語る予定だ。あんまり言えることも少ないし、今回よりも短くなるだろう。というか、最近のオタクなら絶対に知っていることだ。