暗吾の覚書

3.5流大卒→軽度鬱病ニート→社会復帰フリーターと順調に社会底辺へと向かう渦にのまれている男。当座の目標は大学院進学。最近自分の口から出る言葉が信じられなくなっているので、なんとなくブログを始めてみました。

毒と爆弾とキメラ ③ 学校偶像某重大事件

中の人コンテンツの成功例――某学校偶像アニメの場合

 

更新が遅くなってしまった。遅延の理由はおもしろすぎるラノベを読んで鬱が再発しそうになるという情けないものだ。

 

さて、言い訳は短くして、本題に入ろうと思う。

 

サブタイトルで成功例と銘打っておいてなんだが、今回紹介するのは完全なる失敗例……いや、なんというか誰かが意図した事件とか、商売を企図した結果として失敗してしまったとかそんな次元ではない、アクシデントの話をしようと思う。

 

扱う話題が話題なので、固有名詞は一切出さない。が、去年一昨年にオタクをやっていた人ならば少しは耳に入ったくらいの大事件なので、ちょっとググれば情報は手に入る。僕の説明が分かりにくいと感じた人がいるならば調べてみるといいだろう。

 

事件の概要はこうだ。

 

とある人気アイドルアニメの主役の声を担当した声優が、過去にガチの大人の映像作品に出演していたという情報がネット上に広まってしまったのだ。そのアニメはけいおん(すっごくいいアニメ。僕の青春)以来の社会現象級アニメだとされるくらい、有名なものだった。幸か不幸か、アニメでの世代交代は済ませており、その初代メンバーもラストライブ(もちろん、声優による現実での)を終えていたので、コンテンツ自体に深刻なダメージを与えはしなかった。

 

元々、前回記事で取り上げたアイドルマスターと何かと比較されることが多かった事からも分かる通り、両者は共通点の多いコンテンツだった。

 

声優がキャラの代りとしてライブをすることだってそうだし、まぁそもそもアイドルをモチーフにした作品だ。対立煽りみたな連中も湧いたんだけど、概ね大火事に発展することはなかった。コアな二次元アイドル好きは衣装チェンジイラストやらコラボSSなんかを書いていたと記憶している。まぁ、こちらのコンテンツはそれこそ一般にも広がりを見せたんだけど。

 

で、コンテンツ自体へのダメージは少なかったと書いたけど、キャラクターはどうなったのか。

 

ちょっと現在のツイッターを覗いてみたけれど、未だに彼女(キャラクター)を推している(これはプレイヤーが=でプロデューサーであるアイマスでは見ない表現)人もいるが、当時リアルタイムで発狂していた人々を知る身としては、彼らが戦争に負けて国を失っても、在りし日を懐かしむ戦士にしか見えない。見当違いの憐れみかも知れないが、公式からの初代メンバーに関する音沙汰っていうのはあるんだろうか。

 

初代が引退したってのもあると思うけど、アイマス界隈での765(初代メンバー)とは全く扱いが違っているのもある。アイマスはいまだに765が現役だっていうのも大きいんだろうけど、ちょっとこの衰亡っぷりには唖然としてしまった。進行形で好きだって人には申し訳ないのだが。

 

だって、コンテンツの隆盛具合から考えると、レジェンドメンバー的な扱いを受けてしかるべきだと思う。

 

正直、アニメを見たくらいのにわかオブにわかなので、あまり界隈の事情には詳しくない。けど、あの一時的な狂乱っぷりをリアルタイムで見たものとしては、その中の人ネタには興奮すると同時に、ちょっとオタクの業の深さを見た。「リア充にもオタクにもなれない俺の青春」というラノベがそれを題材にしていたんだけど、まぁ、なんというか、それも読んでもらえれば分かる。というか、いつか感想を書くかもしれない。

 

そのキャラクターを好きなら割り切るべきなんだけど、事件の内容そのショックがあまりにも大きすぎた。

 

ファンを続けるよってオタクもいただろうけど、誰にも何も告げずにそっとファンをやめたオタクだっていたはずだ。 

 

×××

 

僕は前回、中の人ネタを含む二次創作設定を毒やノイズに喩えた。しかし、この事件に限って言えば、中の人ネタがタイミングによってはコンテンツすら吹き飛ばしかねない爆弾とまで化している。さすがに未だにそれとキャラクターを関連付けて語る人はいないが、声優さん自体にはそういうイメージがついてしまっているようだ。

 

それこそ、あの伝説的なアイドルアニメに出たって時点で、声優依存のコンテンツに出ることはちょと難しいのかもしれない。良くも悪くも色がついてしまっているからだ。

 

でも、たぶん、そんな因習とは関係なく、その界隈の人からすれば、正直な話、いいことではないのは分かっているけれど、自分が期待しているコンテンツに彼女が出演するとなれば、忌避感の方が先に来てしまう気がする。特にキャラクター重視のコンテンツだとすれば尚更だ。本当にそれがよくないことだってのは分かっているけれど、こればっかりは理屈ではどうしようもないって人がいる。

 

ファンが気に入る設定だとか、公式が取り入れてもいいと判断するとか関係ない。なんというか、あそこまで強烈な中の人の個性(と言っていいのだろうか)は、キャラクターが取り込めるかとか関係なしに猛威を振るってしまう。

 

ここまでの例は珍しいけれど、公式が中の人や裏事情、果てはやりすぎな二次ネタを採りいれて(または露呈させて)しまった挙句に、キャラが死んでしまうなんてことはたぶんそこら辺で起きている。(アイマスの最新作は主要キャラにこの傾向がみられてる。ベテランが多いコンテンツなので危惧する声も目立つ)

 

こう考えると、個人や団体によって創作され、きちんとしたストーリーを持った、いわば原作という強固な公式設定を持ったキャラクターの安定感が羨ましく思える。

 

スマホキャラゲーはどうしても受け手にキャラ造形を任せてしまいがちなところがあるので、瞬発力のある強烈なキャラクターが生まれることも多いけど、その結果として飽きられるのも早い傾向がある。

 

たぶん、人気の出るキャラと長く愛されるキャラっていうのは別物なんだろう。

 

一見矛盾しているように思えるが、おそらく大異はないはずだ。

 

オタクは妄想という形で、自分の好きなキャラ付けをして、それを人に誇示したがるくせに、それらが公式に採用されると微妙な気持になる生き物だ。他人の気に入らない妄想だったらそれは尚更である。キモヲタの心理という傍目からは理解不能な物なのは分かっているが、まぁ、これもオタクが背負う業というわけで。

 

そういうときに原作設定っていうのは、逃げ道になる。それが強固であればあるほど、縋りつく杖としては上出来だろう。

 

なんだかんだ言ってきたけど、キャラクターの命は結構、儚い。毒も多少ならキャラを生命を際立たせる薬になるけど、過ぎればやっぱり毒であり、場合によっては爆弾と化してしまう。万人にとっての、逃げ込める公式設定はやっぱり必要だろう。

 

つまり、何らかのエラーが生まれてしまったときに、それを切り捨てるための刀が必要なんだ。都合の悪い、できれば見たくないものをキャラクターから剪定する必要がある。

 

そう考えると、VTuberってどうなんだろうか。彼ら彼女らは中の人をそれを持っているのだろうか。

 

特ににじさんじなんかの、明らかに公式設定が形骸化した人たちの多いVTuberはどうなんだろうか。

 

これでやっと前振りが終わった。次はやっとVTuberのことについて書ける。良かったら読んでほしい。

 

 

 

 

 

 

 

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あ、ちなみのこれが言及したラノベだ。来月には新刊も出るらしいし、ご興味のある方がいらっしゃればぜひ。