記念すべき一つ目の記事
医者に軽度鬱と診断されていた時期、自家中毒的に渉猟していたブログを自分も始めてみようと思って、こうしてキーボードを叩いている。
思えば、あの期間は成功者と自称落伍者どちらの記事を読んでも、むかむかした気分になっていたような気がする。
割とコンプレックスだらけの自分の人生と比べると、自称落伍者が振り返った自己史の、ほんのささいな表現(友達と遊びほうけていたとか、大学中退からやり直しのために学費の高額な私立に進学したなど)にも心がささくれ立っていた。
成功者の、アオハルな思い出と成功体験に満ち満ちたブログも読んだ。学生や社会人になって日が浅い人が書いたあれだ。彼等にも自制の心はあるのか、大抵の場合は文末に後悔や些細な自省が添えられている。
なんというか、その後悔や自省は僕には思い至らない高次元なもので、そんなものを持つ彼ら彼女らの書いたブログを読んでいると、非常に辛かった。「そうだぞ、反省しろよ」なんて、とても言えない。自分からそこに訪れて読んでいるのに、抵抗できずに凌辱されている気分だった。
唯一といっていい慰めとなったのは、自らの境遇から脱出せんとしていた人物たちによって綴られ、しかし結句はどうでもいいような雑談を最後に更新されなくなったブログだけだった。そういうブログを見ると、「あぁ、ね」というなんとも言えない絶妙な安堵感があった。これだけでも自分の性格の悪さは分かっていただけるだろう。
辛くなるだけだからやめろと家族や医者に忠告されて、楽観的(つまり、見切り発車的)に勉強やアルバイトを始め、やっと抗うつ剤ともオサラバできたが、今でも偶にブログ巡りをしている。同じような人は多いはずだ。
このブログはたぶん、自称落伍者のブログになる。おそらく最後は失踪で終わるとも思う。そもそも人に読まれない可能性の方が高いだろう。目標があって書いているものでもないので、更新だって不定期だ。
適当に流し読みしてもらえたら嬉しいな、くらいの気持ちでやっていこうと思う。
ひとまず、人とのつながりが皆無なのは悲しいので、共感と反発どちらを呼ぶかは分からないが、一週間以内に誰もが意見を持っているはずの話題について記事を書いてみたいと思う。